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  • Kanon Kobayashi/ 小林香音

エイミー・ビーチ 『ロマンス 作品23』

曲目解説 エイミー・ビーチ 『ロマンス作品23』


女性の作曲家として、誰を思い浮かべるでしょうか。女性の作曲家は今までの絶対数が少なく、男性作曲家に比べ、演奏機会は圧倒的に少ないのは皆さんが感じている通りです。

まず有名なのがロベルト・シューマンの妻のクララ・シューマン、フェリックス・メンデルスゾーンの姉のファニー・メンデルスゾーンでしょうか。


今回ご紹介したいのは、アメリカの女性作曲家のエイミービーチ(1867-

1944)です。彼女は、女性であるゆえの抑圧や逆境を経験しながらも、自ら気丈に努力して道を切り開き、その類い希なる才能を世間に広く認められ、アメリカで初めて成功した女性作曲家として知られています。

当時のアメリカでは、女性の仕事は産業資本主義経済において”価値がほとんどない”とみなされており、アートのあらゆる分野でも女性の作品が排除されていました。1892年にアメリカを初めて訪れた作曲家ドヴォルザークでさえ、新聞上でこう発言しています。

『ここアメリカでは、多くの女性が音楽の演奏をしており、それは良いことだ。しかし、残念ながら女性は、私たち作曲家の役には立たない。彼女たちには創造力がないからだ』

その発言の10日後に堂々と新聞上で反論したのが、新鋭作曲家として世間に認められつつあった”ビーチ夫人”です。このときは、後述の理由で、本名の”エイミービーチ”としてではなく、外科医の妻”Mrs.H.H.A.Beach(ビーチ夫人)”として、年数回の演奏活動と作曲活動をしていました。

エイミーはボストンの上流階級の家庭で育ち、幼い頃から音楽の神童ぶりを発揮していました。4歳の頃には初めてワルツを書き、ピアニストであった厳格な母親の手ほどきの元、ピアノ演奏のレパートリーを広げ、7歳の頃にはベートーヴェンのソナタを自作曲と一緒に演奏していたという逸話を持ちます。16歳の頃にはピアニストとして正式にデビューしています。


18歳の時、母の言いつけに従い、彼女は24歳年上の著名な医師ヘンリー・H・A・ビーチと結婚しました。当時、女性が家庭外で仕事をすることはほとんど一般的ではありませんでした。ピアニストとしての演奏活動を控えるようにという夫の意見の元、そして上流階級の妻としての期待に応えなければならないというプレッシャーから、彼女は公の場でのリサイタルを控えました。母親もまた、エイミーが家庭に重きを置くことを強く望んでいました。


そんな夫でしたが、エイミーの作曲の才能については認めており、作曲活動は大きく後押ししたようです。しかしながら、ここでもまた作曲の道を志すにおいても、キャリアを作っていくにおいても、女性であるゆえの苦労や幾多の困難がありました。当時のアメリカの作曲家はヨーロッパで個人指導を受けるのが一般的でしたが、”女性は直感的な音楽家であり、集中的な訓練を受けることは不可能だ” と考えられていました。そこでビーチは、自身でオーケストラの楽曲を徹底的に分析し、楽譜を体系的に調べ研究しました。

エイミー自身もこう語っています。

「音楽は人生経験の最上級の表現であるが、女性はその立場の性質上、男性であれば人生を彩っているはずの経験の多くを与えられないでいる」

"Music is the superlative expression of life experience, and woman by the very nature of her position is denied many of the experiences that color the life of man.”
 

それにもかかわらず、彼女は逆境の中で努力を続け、1892年に発表した最初の大作である、変ホ長調ミサ曲の初演は固定観念を覆す成功を収めました。そんな中で、1893年にシカゴ万国博覧会のために作曲されたのが今回演奏する『ロマンス 作品23』です。


シカゴ万国博覧会は、「女性館」の出展企画を通して、女性の業績を特集した最初の万国博覧会です。女性ヴァイオリニストのモード・パウエル(下写真)と共に、論文を発表すると共に、博覧会においてこのロマンスを演奏しました。初演は大成功で、聴衆が再演を要求するほどでした。


この優美なロマンスは、女性のしなやかさや上品さを感じさせながらも、感情の昂りをも見せる表情の豊かさを持っています。序盤の穏やかさは、子供に物語を語り始める母親のような優しさがあります。全体が一本の旋律線で結ばれながらも、表情にはグラデーションがあり、滑らかに進行して行きます。徐々に、聴く人の感情をも激しく揺さぶり、クライマックスへと至る過程は、エイミーの心の叫びを聴くようです。回想のようにテーマが戻ってくる場面では、ピアノが穏やかに刻む八分音符と三連符の上でヴァイオリンが堂々と歌い上げ、芯の強さと優美さ、両方を感じさせます。

 また、エイミーは音楽を色でイメージすることができた共感覚者でした。ハ長調は白、ト長調は赤、イ長調は緑…と感じていたそうです。この曲はイ長調で書かれていますが、途中何回も転調や借用和音(他の調の和音を一時的に用いた部分)があります。自然な移り変わりは、グラデーションのようでも、はっきりと何色か示せない、何色の色が美しく混ざり合っているようでもあります。


 

彼女は後年、夫を評して「古風な男性で、夫は妻の生活を支えるのが当たり前という考えを持っていました。しかし私に音楽を止めさせる気持ちはなくて、むしろ、次つぎとやる気にさせてくれた。これは幸せなことでした。収入を得てはいけないという約束さえ守っていれば夫は満足でした」と述懐しています。

1910年に夫が亡くなり、1年後には母親も他界しました。それをきっかけに、それまで当時の風習に従って、夫の影に隠し、ビーチ夫人”Mrs.H.H.A Beach” と名乗っていた名前を、あっさりAmy Beachに変えました。


長年の抑圧を解き放つ幸せに勝るものはなかったのでしょう。さらにピアニストとしての活動も再開し、ヨーロッパに自身の作品を引っさげて渡航しました。どの曲も好意的に受け止められ、ライプツィヒ、ハンブルグ、ベルリン等で温かい歓迎を受けました。”女性の名前を目にしなかったら、男性の作品だと思わせる重厚さとスケール感である”とも評されましたが、男性女性の枠を超えたアメリカ人初の素晴らしい作曲家であると、高い評価を得ていました。


エイミーは、自身の作品が、性差別の問題において政治的なものとして残ることを懸念したのか、こう語っています。


「いかなる分野における女性の成功については、私は特に主張は持っていません。私の仕事は最初から性別ではなく、仕事の内容で判断されてきました」
“I have no special views at all about the success or non-success of women in any field. My work has always been judged from the beginning by work as such, not according to sex”



エイミーは生前には有名で高評価を常に受けていたものの、死後数十年忘れ去られた時代が続きました。近代のフェミニズムやジェンダーの研究者により、エイミーの業績が見直されることになり、再び陽の目を見つつあります。


女性が社会に出ることが許される時代になるまでには幾多の女性の苦労があったことを思いを馳せつつ、作曲者の性別に関係なく素晴らしい作品が今後もふさわしい評価を受け続けることを願います。さらにこの美しい作品を世に広く伝えるべく、今後も弾き続けたいと思っています。


小林香音


References

Mrs. H.H.A.Beach. Romance for Violin and Piano.The Maud Powell Society. http://www.maudpowell.org/home/Portals/0/PDF%20Files/Beach%20Extract.pdf, 2020.9.10.


Amy Beach:Her life and Romance. Alex Burns. A blog series on women composers from the past and present. 2018.1.29. https://www.illuminatewomensmusic.co.uk/illuminate-blog/amy-beach-her-life-and-romance-written-by-alex-burns. 2020.9.10.


Amy Beach, A pioneering American Composer, Turns 150. The New York Times. Willliam Robin.


Amy Beach Artist Biography. ALL MUSIC. Kristen Grimshaw.


楠幹江.シカゴ万国博覧会における二人の女性:Ellen Swallow Richards&Mary Stevenson Cassatt.安田女子大学紀要47.211-218.2019.


味岡京子. 1893年シカゴ万国博覧会「女性館」への日本の出品.人間文化論叢第9巻.2006年

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