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Kanon Kobayashi/ 小林香音

ウィニアフスキ『モスクワの思い出』

ウィニアフスキの『モスクワの思い出』は、ヴァイオリニストとして彼が1851年から1853年にかけて15-17歳の若さでロシアを演奏旅行して回った時の印象を基にして作曲されました。途中、単旋律で『赤いサラファン』のメロディが出てきますが、この曲は実はその民謡の変奏曲なのです。主題のテーマがどこに出てくるのか、楽しみながら聴いて頂けると思います。

 

ウィニアフスキ(1835-1880)はロシアの支配下にあったポーランドのルブリンで生まれたヴァイオリニストであり作曲家です。ウィニアフスキは、非の打ちどころのないテクニックを持ち、素晴らしく暖かく豊かな音色を奏でたそうです。ヴァイオリニストのクライスラーは、「彼の情緒的な音色は、ビブラートによってこれまでにない高みに達していた」と書いています。

父は医師であり、母はピアノをパリで学んだことのある人物でした。幼い頃から音楽の才能を発揮していた彼は、8歳でパリに渡り、9歳でパリ音楽院に入学しました。パリに渡った理由は、当時のポーランドは国が分割統治によって分断されており、彼が芸術の才能を伸ばすのに適した土壌ではなかったからです。11歳ごろには自作曲の演奏を始めています。

13歳で初の海外ツアーとしてワルシャワやサンクトペテルブルグでコンサートを開催したところどれも大成功を収め、ベルギーの名ヴァイオリニストであるヴュータンをこう言わしめています。

There is no doubt that this child is a genius, for at his age it would otherwise be impossible for him to play with such passionate feeling, and moreover with such understanding and such a well conceived plan.
この子が天才であることに疑いの余地はない。天才でなければ、これほど情熱を込めて演奏すること、さらに、これほど理解力があり、考え抜かれた演奏をすることは不可能なのだから。

多くの経験を経てパリに戻ってきたウィニアフスキは、本格的に作曲の勉強も始めました。やがてピアノ弾きであった弟とともに、前回よりも大きなコンサートツアーを企画し、パリを再び発ちロシアに向かいました。(その途中母国ポーランドでロシア皇后の前で自作の演奏もしています)。兄弟は1851年から1853年の2年間をかけて、ロシア全土を周って200回以上のコンサートを行い、暖かな音色と確かな技術で聴衆を大いに喜ばせ、作曲家としての実力も証明しました。


(下図:1850年ごろのロシア)

忙しい演奏会の日程にもかかわらず、特に1851年から1852年の間は、彼の人生の中で最も実り多い作曲期間であり、今回演奏される『モスクワの思い出』もこの時期に作曲されました。







同時期に作曲され、1853年にライプツィヒのゲヴァントハウスで初演されたヴァイオリン協奏曲第1番は、彼を国際的な名声へと押し上げることになります。

(参考 ヴァイオリン協奏曲第1番



今回の『モスクワの思い出』では、当時のロシアで流行していた

二つの民謡がモチーフになっています。まず一つ目はThe Red Sarafan』。

参考音源:

"The Red Sarafan" · Elizaveta Shumskaya


後半で出てくるのは2つ目の民謡『I Will Saddle My Stallion』(直訳:種馬の鞍に乗ろう)。どちらもアレクサンドル・エゴロヴィチ・ワルラモフという作曲家の作品です。


(画像:1860年ごろのサンクトペテルブルグ)











一つ目の『The Red Sarafan』は、『赤いサラファン』として、日本では津川主一の訳詞で親しまれており、NHK「みんなのうた」で1984年に取り上げられています。

(サラファン:ロシアの女性が着る、ジャンパースカートに似た民族衣装)


赤いサラファン 歌:鮫島有美子

赤いサラファン縫うてみても
楽しいあの日は帰りゃせぬ
たとえ若い娘じゃとて
何でその日が長かろう
燃えるようなその頬も
今にごらん 色あせる
その時きっと思い当たる
笑(わろ)たりしないで母さんの
言っとく言葉をよくお聞き
とは言え サラファン縫うていると
お前といっしょに若返る


曲はピアノの堂々とした『赤いサラファン』の冒頭の旋律から始まり、ヴァイオリンが華やかにカデンツァ(独奏で即興的な演奏部分)を奏でます。主旋律が顔を覗かせながらも技巧的なヴァイオリンの独奏が続き、ようやく一山が去ると、テーマとなる民謡が提示されます。最後は2つ目の民謡をモチーフに、気まぐれな馬に乗っているかのような、楽しげな音楽が奏でられ、盛り上がって締めくくられます。


それにしても…10代の少年が演奏会を多くこなす間に作曲もこなして、一つの民謡からこんなに独創的な変奏を考えつくとは…。難しいパッセージを、いとも簡単に、自由自在に弾いていたであろう様子が目に浮かびます…。


演奏旅行先で、現地の流行りの曲をそのまま自分の魅力が最大限に活かせるような変奏曲を作曲して演奏してしまうウィニアフスキ少年、恐るべしです。


小林香音 2020/10/25


References

(1)Russia, Moscow, 1850.

"Moscou (Russie)" drawn and engraved by J.Schroeder, published in Paris, about 185o. Steel engraved print, with recent hand colour. Size 15 x 12 cms including title, plus margins. Ref F8166


(2)Russia, St.Petersburg, the Market, c1860

"Folkemarkedet i St.Petersborg" by S.Triers, published in Norway, about 1860. Steel engraved print, with recent hand colour. Size 20.5 x 16.5 cms including title, plus margins. Ref F8163

(3)Henryk Wieniawski (1835 - 1880).Life and Creation.2020.10.25.


(4)Wieniawski: Violin Concerto No. 2.Premiered Today in 1862.Georg Predota.November 27th, 2018.2020.10.25


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